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2010年2月 7日
ネットの匿名性の是非
自民党から民主党への移籍が噂されている参議院議員の田村耕太郎氏がTwitterで暴言を吐き、炎上する事件が起きています。私はこの日記で政治ネタを取り上げることを自粛しているため、政治的な内容については書きませんが、氏はその発言の中で「匿名で文句を書き込むのは卑怯だ」と批判しています。(実際はもっと汚い言葉遣いで、既に削除されている)
私はここでは本名でブログを書き、また別の場所では匿名でも書いている人間ですが、こういったネットの匿名性の是非については以前から色々と思うところがありました。大手メディアや、そこに登場する知識人が同じような批判をするケースも何度か目にしていますが、果たして本当に「匿名は卑怯」なのでしょうか?
まず前提として、今の日本のネット社会は匿名文化です。好き嫌いはともかく、この事実にはおそらく異論はないでしょう。そのような場所で、彼らは自らの意志で本名を名乗っておきながら、匿名の人間を批判しているわけです。ネット文化に慣れている者からすれば、これはかなり乱暴な主張のように思われます。文化の押し付け。どこぞの環境テロリストのようです(笑)
また、彼らはメリットがあるからこそ、そんな場所でも本名を名乗っているわけで、嫌なら匿名で活動することも可能だったはずです。しかしそうしなかった。デメリットよりメリットが大きいと判断したのです。そうである以上、意見を求めれば匿名の批判が来ることも覚悟すべきでしょう。
逆に、一般の人間の多くは、本名で発言してもあまりメリットはありません。むしろリスクを恐れて匿名を選んでいます。つまり、メリットよりデメリットが大きいと判断しているわけです。
そう考えてみると、本名が有利である人間が、不利である人間に対して自分と同じであるべきと要求していることになり、やはり非常に自分勝手な理論に思えます。
まあ、彼らの気持ちも理解できなくはないですが、おいしいところだけ持っていこうとしてもダメだということではないでしょうか。無礼な書き込みはグッと抑えて無視すれば良いのです。私のような無名の人間のブログですらたまにあるわけですから、冷静にその取捨選択が行えないと、有名人のネットでの活動は難しいのかもしれませんね。
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